寺院の歴史

お寺境内

寺院の歴史

本誓寺の歩み

 二河山白道院 本誓寺は開山、天(てん)誉(よ)龍(りゅう)太(た)大和尚(だいおしょう)が江戸深川、本誓寺三世を経て伊勢の地に当時創建したと、伝わっています。

 寛永13年(1636年)8月のことです。

 常念仏(じょうねんぶつ)の道場、常にお念仏を唱える場所として、この地に開山したと云われています。
 浄土宗の教えである二河白道(二つの河(かわ)に挟まれる白い道)、たとえば本誓寺の境内から本堂まで全てを表しているのです。

 二つの河は、水・火と表します。水は貧(とん)欲(よく)、火は神威(怒り)にたとえ、この二つの河の中間にある白道は、極楽浄土へ導くと云われています。
 東より、狭く荒れた道を前に立ち尽くす行者(我々)を、西方極楽浄土へ往生する心に例えられています。
 お釈迦佛が『極楽へ行きなさい』とすすめ、西より南無阿弥陀仏が『来たれ来たれ』と招かれ、行者(我々)が極楽往生をはたすと伝わります。

 旧境内には二つの池がありましたが、現在移転のためなくなっています。
 現在、当山には山門があり、山門には二尊(釈迦佛(しゃかぶつ)、阿弥陀佛(あみだぶつ)の像が換わりに出迎えてくれています。
 二尊に招かれて、山門をくぐり、本堂に導かれ二河白道の例えのもと、極楽へ往生すること表しています。
 故に、山号、院号を二河山、白道院というのであります。

 また、諸説(しょせつ)紛々(ふんぷん)でありますが、昔は東の『吉原』、西の『古市』と云われほど遊郭が盛んで、その遊郭の一つ油屋『油屋お紺騒動』の床が当山位牌堂に祀られています。

◆ 本誓寺 本堂

◆ 本誓寺 墓苑

◆ 油屋お紺騒動

 油屋お紺騒動とは、江戸時代伊勢古市の遊郭で起きた殺人事件(古市十人斬り)で寛政8年(1796年)5月4日の深夜、古市の遊郭油屋で9人が刀で斬られ3名が死亡する事件が起きました。

 午前1時過ぎ、宇治浦田町の医者の孫(まご)福(ふく) 斎(いつき)(27歳)が酒を飲みに油屋を訪れ、茶汲み女お紺(16歳)にお酒の相手をさせた。
 阿波の藍玉商人岩次郎(33歳)、孫三郎(35歳)、伊太郎(31歳)の3人が近くの芝居見物の帰りに油屋に立ち寄った。
 その酒相手に、おきし、おしか、お紺も呼ばれることになり、お紺は斎の所から藍玉商人の座敷に行ってしまった。
 お紺がほかの客の座敷に行ったことに斎は店に文句を言ったという、下女おまんがなだめ店の表口まで出た。
 斎は表口で脇差(わきさし)をもらうといきなり下女のおまんを斬り、下男宇(う)、吉(よし)、およしを斬り、油屋主人の母さき(58歳)を殺害した。
 藍玉商人達もこの騒ぎに気付き一階へ降りた時、おきしが殺害され、おしかも斬られた、お紺はほかの者と裏口から逃げた。
 斎を取り押さえようとした商人三人、伊太郎、孫三郎が負傷し、岩太郎が絶命した。
 油屋から逃げた斎は、2日後、宇治浦田町の神主 藤波の屋敷内で自害したという。

 この事件を題材として近松徳三の狂言仕組みにより『伊勢音頭恋寝刀(いせおんどこいのねたば)』となり、上演された。
 本誓寺には、油屋騒動で流血がついた廊下の板と亡くなられた方々の供養のため、血天井として納められ本堂下天井が、油屋廊下と伝わっていた。

▲平成6年本堂移転の時に位牌堂天井として使われています。